Marquis de Sade「閨房の哲學」1795
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リベルティナージュ (libertinage)
放蕩。道樂
自由思想 (反宗敎思想)
用心
女を相手にするのは自分にとっては一つの放埒……いや、ちょっとした過ちであって、身を汚すに等しいことだよ。さういふことはめったにやらないものだし、用心にも用心を重ねなくっちゃならんね
悦樂の眞髓ほど出產奨励主義者からかけ離れたものはない
人口を增やしすぎた
だったら子供は父親の血からできてゐるのだから、父親にだけ愛情を抱けばよい
確かにそいつらは、われわれと同じ情念 (パッシオン) に仕へてはゐない。だけど、やはりやつらも情念 (パッシオン) をもってゐることに變はりはないし
情欲
エゴイズム。美德
神
人閒理性の限界〔nec plus ultra〕を意味するにすぎず、〔自然の因果をたどり盡くした〕理性がもはや何も見出せなくなったまさにそのとき、何とか己が務めを續けられるやうにと捏造した幻想にすぎない
こんな卑しい宗敎に對處するには、それにふさはしく、ただ輕蔑するだけでよかったんだ。さうすれば、そんなもの、この世に現れた途端、跡形もなく消え失せてゐたはずだ。ところが迫害しようなんて氣になったばかりに、かへって勢いをつけさせた。
自然が善を欲するのは、己の法の維持に役立つ惡の埋め合はせをしなくてはならない時だけだ。神は常に万有に働きかけてゐなくてはならないが、自然はといhrば、絕へ閒なく活動することを己の法の一つとしてゐる。つまり、自然は神と永久に張り合ひ、反目してゐなくてはならないことになるんだ。
自然は活動する物質以外の何ものでもない
施し。慈善
物乞ひをなくす方策を求める聲が至る所から出てゐるやうだが、さう言ひながら、人は物乞ひを增やすことにひたすら努めてゐるといふわけだ。